『私の趣味「万葉集歌碑巡り」ー埼玉県三郷市の万葉歌碑雑感ー』
『私の趣味「万葉集歌碑巡り」ー埼玉県三郷市の万葉歌碑雑感ー』
作者紹介:
宇治郷毅(うじごう・つよし)
1943年岡山県生まれ、1966年同志社大学法学部卒、
1968年同大学院法学研究科修士課程修了、
2003年国立国会図書館(副館長にて)退職、
2007~2013年同志社大学社会学部(教育文化学科)
および同大学院社会学研究科教授
2013年叙勲( 「瑞宝重光章」)受賞、
主著:『詩人尹東柱への旅』緑陰書房2002、
『石坂荘作の教育事業』晃洋書房2013」
心身の健康を兼ねて趣味で「万葉集」を学んでいる。特に東歌(あずまうた)・防人(さきもり)歌に関心がある。万葉集は日本最古の国民的歌集なので、古来より多くの人に愛され、また鎌倉期より今日に至るまで多くの碩学による研究書や論文がある。また全国に万葉歌碑は多数あり、研究者から素人にいたるまでその案内書も多い。私は、それらの資料については最寄りの「さいたま市立図書館」でお世話になっている。また関係の市民講座にもよく出かけている。ちなみに昨年より同志社大学東京サテライト・キャンパスで継続開講されている垣見修司教授による「万葉講座」もその一つである。
なんといっても一番の楽しみは、各地に万葉の故地や歌碑を訪ねることである。これには、体力、気力、時間、金および家人の理解も必要だが、万葉歌の理解を深めるには必須である。私の場合、目的は故地や歌碑そのものの見学というよりは、歌の詠まれた地域の自然や人情に触れ、その歌の心を少しでも深く理解したいからである。そのためできるだけその地の山河を歩きまわり、風俗に触れることにつとめている。できうる限り車を使わず歩いて尋ねることを心掛けているので苦労もあるが、その反面えがたい楽しい思い出もたくさんある。
今まで静岡県、神奈川県、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県、群馬県の主要な故地に足を延ばした。まだ行けていないところとして栃木県、長野県、福島県、宮城県の分が残っている。感動するのはどこに行っても、よくぞ1300年も前にこんな素晴らしい歌を残してくれたものだという思い、それとそれを敬愛した先人たちの万葉歌に対する情熱だ。
ところで埼玉県に関する万葉歌(東歌、防人歌)にも秀作が多く、歌碑だけでも24もある。ここでは私の好きなそのうちの一つを紹介する。
万葉集の成立した奈良時代、現在の埼玉県は、武蔵国、下総国の一部に属していた。この地の歌の一首に「葛飾早稲(かつしかわせ)」を詠った有名な歌がある。巻第十四の三三八六番の次の東歌であるが、
「にほ鳥の 葛飾早稲を 饗すとも その愛しきを 外に立てめやも」
歌意は、「鳰鳥(にほどり)がかずく葛飾の早稲を神にささげる時とて、どうして、あの愛する男を外に立たせたままにできようか」(中西進『万葉集 全訳注原文付』)である。
少し補足すると、鳰鳥はカイツブリのこと、「かずく」は潜る(もぐる)」こと、この鳥はもぐりが得意。古代の江戸川流域は広範な沼地や湿地帯が広がっていて多くのカイツブリが生息していたようだ。その関連で、鳰鳥が葛飾(かずしか)にかかる枕詞となっている。「贄す(にえす)」は、最初の収穫米を神に供える(馳走する)こと。「愛(かな)しき」は恋人のこと。
この歌碑が現在、江戸川両岸の埼玉県の三郷市と千葉県の野田市と流山市にある。ともに下総国の「葛飾郡」に属していたことと、当時からここの早稲米がブランドであったことを郷土の誇りとして戦後関係団体によって建てられたものである。
しかし三郷市のものは特異である。というのは、歌碑は普通同じ場所に一つあるが、三郷のものは同じものが同じ場所に二つ建てられているからだ。それは三郷市早稲田八丁目の丹後という地域の「稲荷神社」境内にある。一つは、境内入り口の鳥居横にあり、昭和37年12月に当時の三郷村によって建てられた「万葉遺跡葛飾早稲発祥地」碑である。これはこの地が、昭和36年9月1日埼玉県指定旧跡となった記念のためである。いま一つは、本殿前右横に、平成24年11月に建立された「万葉遺跡 葛飾早稲産地」碑である。この新碑は、市内の「篠田石材工業」の現社長(篠田雅央氏)が自ら製作、寄贈したものだ。どちらも歌碑を兼ねた葛飾早稲産地であることの標識柱である。新碑建立の理由は、旧碑の文字が老朽化して読みにくくなったことと、旧碑を刻んだのも現社長の祖父であったことによる。私は、氏の郷土愛と篤志に深く感銘を受けた。
この歌は当時の葛飾郡内で、民謡として広く民衆によって詠われていたようだ。「新嘗(にいなめ)の祭(初穂祭ともいう」にはすべての女は潔斎して、すべての男を家から外に出し、神にのみ仕えるという厳しい宗教的掟があり、とはいえ恋しい男が訪ねてきたら家に入れざるを得ないという恋心との葛藤が緊迫感をもって詠われている。ここでは日頃恋人のことを想い続けていた娘の歌ととらえたい。また同時に、神と一体となっていた庶民の生活、それも女性(母親)が一家の中心にあった時代の姿が目に浮かんできて興味深い。
このようなすばらしい万葉歌を後世にながく語り継いでいくためにも、実際どこで米が作られていたかは別にして(論争がある)、葛飾郡内ならどこでもこの歌碑は建てられてよいと私は思うのである。たとえば、古代同じ郡内に属した有名な「手児奈(てこな)伝説」のある千葉県市川市真間や「寅さん」の故郷東京都葛飾区柴又にもこの歌碑が将来建てられることを私は夢見ている。