澁澤栄一翁ゆかりの地巡り実施報告
令和6年6月15日、今年の野外活動として、新一万円札の顔となる澁澤栄一翁ゆかりの地巡りを実施しました。
澁澤栄一翁は校祖新島襄が同志社大学設立に向け寄付集めに奔走していた明治20年当時政府に拠らず「民の力」で大学を興すという新島の理念に共鳴し同志社大学設立のため多額の寄付をしてくださいました。
その後も新島との交流を深め明治22年新島が病に倒れ大磯療養時には自ら医師を手配し大磯に派遣するほどになっていました。
午前10時初参加の方10人、ご夫婦での参加4組の総勢24名が東京を模したレンガ造りの深谷駅に集合しました。まず向かったのは澁澤に論語など多くの学問を教授した尾高惇忠の生家を訪問しました。江戸後期に建てられた当時の商家は澁澤が尊王攘夷思想に染まりテロ渇望の謀議を行った場所といわれています。
次に向かったのは澁澤の生家「中の家」(なかんち)。当時澁澤家が養蚕農家、藍玉農家また商家として隆盛であった様子がうかがえる立派な門構えのお屋敷でした。明治28年に澁澤の妹夫婦が上棟した母屋等の建物群はきちんと維持、整備され訪れる人を迎えています。
母屋の中では晩年のアンドロイド澁澤が幼いころの思い出や、後の澁澤の起業、事業拡大に大きな影響を与えたパリ万博の様子などを伝えています。広い敷地内にある記念碑や整備中の公園などを見た後は、深谷市が運営する「渋沢栄一記念館」です。
職員の方からの澁澤の生誕から故郷出奔、日本経済への貢献など年表に基づいた説明を聞き、澁澤への理解が深まりました。
午後1時、少し遅い昼食は澁澤も帰郷の度に所望したというご当地名物の「煮ぼうとう」です。女将自慢の地粉ほうとうに舌鼓をうちながら参加者全員が自己紹介をしました。同伴の奥様のご挨拶もあり相互理解と親睦を深めました。最後に「道の駅おかべ」で名産の深谷ネギなど新鮮野菜を購入帰路につきました。真夏を思わせる天候の中、参加者全員無事に全行程を終えることができました